今日、デビッド・ボウイが亡くなったそうだ。
 ちょうどWOWOWでエレカシ新春ライブの生中継を観ていた時にスマホのニュースで知った。
 呆然としながらテレビに目を向けると、ミヤジが「RAINBOW」を歌っていて、
 いつかこのミヤジもこの世からいなくなってしまう日が来るんだな、、なんてことをぼんやり思った。
 高校生のころ、デビッド・ボウイが好きだった。
 「ジギー・スターダスト」、「スペースオディティ」、「チャイナガール」、「レディ・スターダスト」、「スターマン」、
 パッと浮かぶのはこれくらいだけど、
 他にも好きな曲がたくさん、タイトルを忘れてる曲も。
 当時はインターネットなんて無かったから、情報を得るのも雑誌やら書籍やらそれなりの対価が必要だった。
 曲も実際にCDを買って家のプレーヤーで聴くまではどんな曲か分からない。
 今では簡単にスマホに保存出来る顔写真だって、そうそう簡単には見られない。
 いったいどんな人なのかを知りたくて、写真集や彼の歴史を追ったような本を何冊も買って読んだ。
 イギリスにホームステイに行った友達がデビッドの写真集をお土産に買ってきてくれた時はとても興奮した。
 東京ドームでやったコンサートに2日連続で行ったりもした。
 どうやってチケット買ったんだっけ?
 とにかく手に入れられたチケットはアリーナ席の一番後ろで、
 私は8センチヒールを履いて必死で米粒のようなデビッドを目で追った。
 現実を知らない夢見る高校生は、彼のゴシップにバカみたいにヤキモチを焼いた。
 いつかどこかのコンサート会場で彼に見初められてデートをするんだとか壮大な妄想を巡らせていた。
 なんかのライブ映像で、デビッドが客席の女の子を突然ステージに上げて、ダンスをする場面を観たことがあり、
 あんなことがもしかしたら自分の身にも起きるかも、なんて思っていた。
 後からあれは演出だと知ってガッカリしたものだ。
 インターネットなんて無かった時代、人はもっと色んなことに夢を膨らませていたのだ。
 インターネットで謎が溶け、すべてが明らかになればなるほど、
 夢を見る余地は減っていく。
 当時の夢と妄想で膨らんだデビッド・ボウイへの思いは、
 今の私がエレカシに向けるような思いよりもずっと濃厚で独りよがりでロマンチックだった。
 誰の介入も許さないほどの密度だった。
 デビッド・ボウイにハマったきっかけは映画「ラビリンス」だ。
 音楽を担当しながら、自らジャレス王役で出演していた。
 相手役はジェニファー・コネリーで、私は彼女のファンでもあった。
 たくさんあったはずのデヴィッドのCDは何故かもう一枚も無いのだけど、
 「ラビリンス」のサウンドトラックだけは今も手元に残っている。
 不思議なデビッドの歌声。
 もう何十年も曲を聴いていなくて、今さらファンを名乗る資格もつもりも無いけれど、
 確かに高校生のあの頃、私は彼の歌を毎日のように聴き、歌詞を読み込み、
 部屋にポスターを貼り、必死で英語のファンレターを書いて、
 その世間知らずの若者がいったいどれだけの影響を受けたかを考えると、
 今の私を構成する何百分の一、何十分の一かは、間違いなく彼なのである。
 だからだろうか、
 もはやファンとは言えないくらい彼の音楽から遠ざかっていたのに、無性に悲しい。
 心にポッカリ穴が…と言ったら大げさのようだけど、
 でも高校生のころの記憶がデヴィッドの音楽とともにあれもこれも思い出されて、
 その彼が今日この世を去ったのだと思うと、何だかまるで自分の一部を失ったかのような喪失感におそわれている。

