ちょっと前のことなのだけど…。
エレカシが表紙の「グッドロックス」を買いに本屋さんへ行ったら、お目当ての雑誌が無く、仕方ないので帰ろうと駐車場出口に向かって歩いていたら、ふとこの本が目に留まった。
あれ…?
なんかこのタイトルには見覚えがあるぞ…?
そう思って、スマホでAmazonのカートを覗いてみたら、案の定この本が入っていた。
いつだったか、WEBライターの人のブログを読んでいた時にこの本がクローズアップされており、興味を持ったのでとりあえずAmazonのカートに入れておいたのだ。
雑誌を買えなくて何となく気分を持て余していた私は、この本を手に取ってパラパラとめくってみた。
目次にさらっと目を通しただけで、今の私に必要だと思われる言葉がたくさん並んでいた。
「これはめぐり合わせだ!」
そう思った私は、そのままこの本をレジに持っていき購入。
久しぶりに本屋で単行本を買った。
その足で(車だけど)コメダへ行き、コーヒーを飲みながらこの本を読んだ。
「言葉にできる」は、武器になる。
一章を読んだだけで、すでに目から鱗がボロボロ。
どれだけ私の目には鱗が張り付いていたのやら。
この方の主張は一貫してこうだ。
「言葉が意見を伝える道具であるならば、まず、意見を育てる必要がある」
そして、
「自分の中に意見と思いを生み出し続ける源泉を持つことが重要である」
世の中で売っている文章の書き方についてのノウハウ本は、ほとんどが小手先の技術やスキルを説いたものばかり。
でも、あなたが磨くべきは技術やスキルよりも、 「内なる言葉」なのである、と。
確かにこういった切り口の本は私も初めて読んだ。
これまでライティング関連の本を何冊か読んだことはあるけれど、すべて「タイトルや見出しの付け方」とか「導入文の書き方」とか、「起承転結で書く」とか、テクニック面に関する本ばかりだった。
でも、あんまりこういったテクニックばかりを学んでしまうと、今度は自分ならではのオリジナル性が消されて行ってしまう。
むしろ、正しい文章の書き方というのは独自性を削ぎ落としていくことなのかもしれない。
いや、そんなことは無いはずなのだけど、まだ経験のない私があまりテクニックに頼ってしまうと間違いなくオリジナル性は損なわれていくと思う。
「内なる言葉」とは、あなたの視点そのものである。
立て前を突き破ることができなければ、あなたの言葉はいつまでもどこかで借りてきたようなものになってしまい、迫力も説得力もないものになってしまう。
これらの言葉にハッとした。
この本を知るきっかけとなったブログでは、こういった精神面より後半に書かれている実践面の方が役立ったと書いてあった。
でも経験の浅い私には、むしろこちらの精神面の方がズシリと胸に来た。
この本は今読んで良かったと思う。
やっぱりめぐり合わせだったんだなぁ。