思うこと PR

何にもしない休日にもちゃんと意味がある

 

今の私の生活は、家事と育児と仕事である。(+エレカシ)

仕事の日は朝から晩までけっこう忙しくて、あまりのんびりする時間がない。
だいたい仕事から帰ってくると夕方6時を過ぎているので、そのまま夕ご飯の支度に取り掛かる。
その間にもお風呂を入れたり洗濯物を取り込んだり家事はいろいろある。
家事が終わり「よっこらしょ」と食卓のイスに座るとドッと疲れが押し寄せてくる。「そういや私、帰って来てから一度も座ってなかったわ・・」とそこで初めて気付き、今日もよく働いたなぁと一日を振り返ったりする。

仕事の日は自分の自由になる時間はほとんどない。
だから休みになったらあれもやろうこれもやろうと、忙しいさなかに頭に浮かぶあれこれに思いを馳せ、次の休日はきっと充実した一日になるぞ、などと期待している。

でもいざ休日になると、やるはずだったあれやこれやは意識の隅に追いやられ、掃除や洗濯を終えた後はソファでゴロゴロしながらスマホをいじくったり、棚の本を取り出して読むともなくページをペラペラめくってみたり、何だか意味のないことばかりして時間をムダに浪費している。

そんなことをしているうちにあっという間に夕方になってもう子どもが学校から帰って来る時間だ。
意味のあることなど何も出来ないうちに、休日が終わって行く。
「ああ、もったいない。せっかくの休日に何もできなかった」
そう思いながら、なまけものの自分にため息が出るのだ。

 

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 でも同時にこうも思う。
「何にもしない休日」というのは、実はものすごく贅沢なものなんではないだろうか。
 ただダラダラと意味のないことをして過ごす時間というのは私の年齢では普通なかなか得難いものだと思う。

「時間」という何より貴重なものを、ただボーっとして浪費する。
それがいいのか悪いのかと言えば、あんまり度が過ぎればさすがに良くないと思う。
でも普段から仕事と家事をして休日も完全に自由というわけではなく掃除洗濯炊事くらいは担うわけで、仕事では我慢することが多いし体も酷使するし人のために全身を使って働いているし、家事は4人分を一手に引き受ける。
正直しんどいこと、キツイこと、無理していること、たくさんある。

そんな私にとって、休日を何もせずただボーっと過ごすことは何よりの贅沢だ。
そういう時間が私を支えているとも言える。
だって、仕事の日にあれだけ動いていて、休みの日まであれこれやっていたら、いったいいつ体を休めればいいのやら。

 

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だから、休日くらいは何にもしないで過ごしてもいいと思う。
やりたいことがあって気持ちが高揚しているときはその気分のままに動けばいいし、そうでないときは全部放っておいてダラけてもいいのだ。
ボーっと何もせず過ごす時間は、何もしていないようでいてきっと体の中では大事なことが成されているような気がする。
本体がせわしなく動いている時にはできないような、たぶんソフト面のメンテナンス的なことを、このダラけている隙に行うのだろう。
明日への活力が養われる貴重な時間なのだ。

だから、何もしない休日にもちゃんと意味がある。
そう思って堂々とダラダラ過ごせばいい。

ところでブログはどうなんだろうか。
ブログもずいぶんな時間泥棒だよなぁ。
どっちかというとこのブログを書いている時間は「ダラダラ」や「ボー」に属しているような気がする(笑) 
楽しいことは苦にならないね。

 

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