つつがなく

つつがなく

エレカシが大好きな2児の母。エレカシの話題を中心に、日々のこと、趣味のこと、音楽のことなどを書いています。

気持ちを文章に落とし込むことの難しさ。自分の限界を感じて落ち込む。


 

おととい、昨日、今朝と、いろんなことが次々あり過ぎて、書きたいことがいっぱいあるんだけど、もう気持ちが溢れちゃって何からどう書いていいのやら。

今日は仕事が休みなのでとりあえずこうしてパソコンに向かってみたけど、気持ちがまとまらず、まとまらないままこんなこと書いている。

文章を書くことって本当に難しくて、自分の思いをそのまま寸分違わず表現できるものではない。
鏡のようにそのまんま文章に表すことが出来たら・・・と思うけど、それも問題か。
この頭の中のぐちゃぐちゃがそのまま文章になったらそれはそれで困るね。


何か大きく心が揺さぶられる出来事があり、それを文章にしたいと思ったとき、それを表現するだけの文章力が自分には無く、この感動のいったい如何ほどを文章で再現できるかと思うと、その限界を感じずにはいられずやるせなくなる。

どんなに言葉を尽くしたところで、文章は自分の中の思いとは別物に仕上がってしまう。
そして完成した瞬間にその文章が自分の中での「本物」にすり替わってしまいオリジナルの記憶はじきに薄れて行ってしまう。


そりゃどんなに才能のある人だって完璧にはいかないだろうけど、それにしてもあまりの己の文才の無さ、ボキャブラリーの少なさにガッカリしてしまう。
後に残るのは頭の中の記憶よりこうして形になった文章だ。
もっと心のままをうまく文章に起こせるスキルが欲しい。

 
その出来事や、もしかしたら自分の感じた気持ち以上に素晴らしい文章を書けるんじゃないかと思う人がいる。
言葉の匠とでもいうか。
そういう人を知っている。

その人の書く文はとても知的で情緒的で、読んでいると文章に描かれている景色をまるでその人の心を通して見ているかのような感覚に陥る。
えもいわれぬノスタルジックな思いに駆られたり、その出来事を自分も疑似体験しているかのような気分になる。
要所でグッとくる言葉を使っていたり、その想像力の広がりに、毎度感服してしまう。

とにかく言葉をたくさん知っている。
そして言葉の使い方が見事なのだ。

きっと私と似たような世界で似たような景色を見て似たような日々を送っているであろうその人が、自分の思いや出来事をこうも魅力的に表現できる。
それはもう自由自在に言葉をあやつって、楽しんでいるようにすら感じるのだ。
ただ出来事を淡々と連ねるだけでも苦労している自分とのあまりの才能の違いを感じて、己が情けなくなる。


その人なら、私がここ何日かで感じた出来事をどう表現するだろうか。
いったいどんな文章を書くだろうか。

私はどこか「いいことを書きたい」みたいな邪まな思いがあって、もしかしたらその思いが諸々の邪魔をしているのかもしれない。
大した文章力もないのに何か小手先でよく見せようだなんて、小賢しくて嫌になるね。

才能ある人はきっとそんなこと考えもせず、ただ頭の中に沸き起こった言葉をそのまんま書いているだけなのかも。

だとすると、才能の違いは文章力というより頭の中ですでに決まっているのか。
それこそ救いがないよなぁ。


私の以前の日記は、稚拙でおちゃらけていて、今読むと恥ずかしい内容ばかりなんだけど、でも当時の日記の方が今よりピュアでみずみずしいような気がするのだ。

あまり読者のことを考えず、ただ自分の思ったことを稚拙な言葉ながら素直に吐き出している。
何か伝わってくるものがあるんだよね。
自分の日記だからかもしれないけど。
他人にとっては面白くもないただのタワゴトだ。

読む人のことを考え始めたらそのような文章は書けなくなった。
視点が変わるからだ。

でも、私が尊敬するその人の文章も読者視点ではなくあくまで自分の思ったこと感じたことを綴っている。
それなのに、ここまで読む側の心に訴えてくるのだから、これはやっぱり才能というしかないよな。


でも仕方ない。
手持ちの札以外は出せないのだから。
私は私に書ける文章で自分の気持ちを表現していくしかない。

・・・というところに落ち着きました。
 

では。