つつがなく

つつがなく

エレカシが大好きな2児の母。エレカシの話題を中心に、日々のこと、趣味のこと、音楽のことなどを書いています。

エレカシとは何だ



もう寝なきゃ・・・と思うんだけど、 どうにもこうにも書かずにいられない衝動に駆られている。
別にたいしたことでも無いのに、なぜか文字にして残しておきたいという気持ちが突き上げている。

こんな気持ちは久しぶりだ。
最近ここはすっかりエレカシブログだ。
そうするつもりは無いんだけど、 ブログを書こうとパソコンに向かうと、エレカシのことしか考えられなくなってしまう。
ミヤジの魅力を少しでも多くの人に知って欲しくて仕方が無くて。

エレカシってこんなにいい曲たくさんあるんだよ、 ミヤジってこんなに凄い人なんだよ、 そういうのを伝えたくて、伝えたくて、伝えたくて。

でもきっとここを読んでる人は、最近の私の記事に呆れ返っていることだろうな、と。
そう冷めた目で客観的に見ているもう一人の自分がいる。
まるで中毒患者のようにエレカシにハマッていく私を、 これまで付き合いのある友人たちはどう思っているだろうか。
エレカシをまるで宗教みたいに誤解してはいないだろうか。
私の狂ったような文章を読んで、エレカシを変な風に思って欲しくは無い。

だけど、そうは思いつつも、もうどうしようもない。
ここでエレカシの魅力、ミヤジの魅力を語ること。
今の私がせずにはいられないこと。

本当にアホみたいだと思うけど、アホにならずにいられないくらいエレカシが好き。
他のミュージシャンとはぜんっぜん違う。
ミヤジの歌う歌。
こんな歌を聴いたのは本当に初めてなんだもの。

 

“どんなときも、前を向いてがんばろう!”と、 言葉で言うのはたやすい。

だいたいそんなに簡単に前向きになれるなら、 なぜ年間にこれほどの自殺者が出るんだよ、と思う。
簡単に言って欲しくない言葉であり、簡単に発すことの出来ない言葉だ。

だけどエレカシの“がんばろう”は違うのだ。
うまく言えないけど、ミヤジの“がんばろう”はそんじょそこらの軽々しい言葉とは違う。

私がファンだからそう感じるの?
そんじょそこらの軽々しい言葉だって、そのファンの人たちが聞けば心に響くの?

そうなのかもしれない。

だけど、エレカシの曲、ミヤジの歌は、“がんばろう”の言葉の中に、彼の人生が詰まっている。
これまでの彼らの歴史、迷いや悟り、苦しみや悲しみ、そして心からの願い、 悲喜こもごもの様々な思いが沁み込んでいる。

決して順調とは言えない彼らのこれまでの歩み。
世間のヒットチャートとは程遠い道をわざわざ選択し続け、 己の道を突き進んで来た彼らに待っていた挫折。

その挫折の中から死に物狂いで這い上がって来た彼らが手にしたもの。
そしてふたたびの絶望。

しかし、そこからもう一度自分たちの道を模索し続け、 あっちの道こっちの道と幾たびも挑戦を繰り返し、 挫折の数だけ立ち上がって来た4人。

力強さと脆さ、その狭間で悲痛に叫ぶミヤジの声が、 もう胸に突き刺さって痛くて痛くてたまらないのです。


そんなミヤジがみんなに向かって声を上げる。

“さぁ、がんばろうぜ!!”

自分だって傷だらけのくせに、今も傷は癒えず痛みに苦しんでいるのに、それでも皆を鼓舞するために歌うのだ。 


ユニバーサルの曲しか知らなかったらこんな気持ちにはならなかったかもしれない。
初期の頃の曲を聴いてしまったら、 最近の曲ももうこれまでのようには聴けなくなってしまった。


たぶん、エレカシに詳しくない人にはちんぷんかんぷんな内容よね。
ただミヤジに心酔してるおバカな一人のファンのたわごとだよね。
それでもいいんだ。
別に誰に向かって書いてるわけでもない。


エレカシファンの人の書く文章をたくさん読ませてもらった。
すごく共感するのです。
やっぱり。
同じ思いを共有しているのだな、と思う。
うれしくなる。

だって、エレカシの音楽ってちょっと受け入れがたいトコあるものね。
エレカシ聞くより、もっと他の売れてる人たちの曲の方が耳に優しいし安心して聴いていられる。
そう思うと、やっぱりエレカシってちょっと特殊だなぁと思う。

あるファンの人がエレカシの魅力について書いていた。  

“エレカシのかっこよさは説明が難しいのです。   
何かの拍子に全身全霊持ってかれるというか、宮本の・・・魂?の圧倒的な力に衝撃を受けるというか。
もちろん、衝撃を受ける人と受けない人がいて、後者にはただの行動がおかしい人、もう少し理解のある人で単にエキセントリックな人という認識だと思う”


わかる!笑
ほんと、ただの行動が変な人に見えるだろうな~と思うもんね。
ライブ中いきなり怒り出したり、怒鳴りながら歌ったり、お客さんを挑発したり。
なんなんだろうね?あれは・・・。
いまだにちょっと謎だったりするんだけど。
私自身も。

でも、そういうミヤジにギョッとしたりハッとしたりドキッとしたり、 時にはズキズキっと来たりガーンと来たり、、、 とにかく、否がおうにも何かしらの感情を掻き立てられる。

でも、“支えてもらってる”という意識はすごくある。
まさやんとかに感じるのとはまったく違った感覚で。
まさやんにもずいぶん支えてもらってる実感はあるんだけど、 エレカシの場合はもっとこう、背中をバーンと押されるような、もっと力強いパワー。

いや、背中を押されるというより、 自分の中からどうにもこうにも抑えられないパワーが込み上げて来て、 いても立ってもいられない衝動に駆られるというような。


でも、すごく支えられてはいるんだけど、 支えてもらうには、支えてもらうだけの資格が要ると、そう感じさせるのがエレカシ。

何もせずにただ寄りかからせてはくれません。

やっぱり“がんばる”ってことだなと。
彼らの前で堂々としていられる自分でいないといけない、と。
グダグダとだらしなく生きてたら、ライブに行ってもきっとミヤジの顔をまともに見れないと思う。
エレカシに胸を張れる自分でなければ、恥ずかしくてライブで顔を合わせることなんて出来ない。
あれだけ一生懸命生きているミヤジの前で、 のらりくらりと怠けた生活をしている自分が一体どんな顔していればいいの?

私も精一杯生きないといけない。
そう思わせてくれて、気付かせてくれて、 本当にありがとうって、ミヤジに心から感謝したい気持ちです。

“しっかり生きよう”とこんなにハッキリ意識したのは初めてかもしれない。
エレカシに出会って、“歌”というものに対する考えがまったく変わった。

そしてたぶん、私の生き方も少しずつ変わって行くんだと思う。
これまで私が接してきた様々なものから私なりの人生観が育って来ていて、 それは今、私の中では確固たるモノであって、 エレカシに出会ったことでその人生観が劇的に変化したっていうわけでは無いけれど、 私のその人生観をエレカシがより色濃く際立たせてくれたような気がするのです。

もっと激しく、強烈に。     

うん、そうだ、そうだよな!! 
やっぱりそうなんだよな!! という感じで。

これまで私の中でおぼろげだったものが、くっきりと一本の柱となって、 私の真ん中にドーンと突き刺さった感じがする。

もうブレない。
そんな心強さすら感じる。

でも、これからだって迷うこと落ち込むことはいっぱいあると思う。
でも大丈夫。
一生懸命生きていさえすれば、ぜったいに何とかなる。
そう思わせてくれる。

絶望してもエレカシが歌ってくれる。
しんどい時ほどミヤジの歌が心に優しく響くだろう。


珍奇男はミヤジ自身なのかなぁ。

“恐ろしや 世間の風”

世間とこれほど摩擦を感じる人も珍しいだろうと思う。
普通の人はなんだかんだ世間とうまく折り合い付けてごまかしごまかし無難に生きてるよ。

自分の信念を貫こうとすると、壁は高く分厚くなる。
それに負けじと死に物狂いで壁を乗り越えようとする姿に、人は感動するんだろうね。

「ガストロンジャー」でミヤジが叫んだ「胸を張って出掛けようぜ!!」という言葉。

「世間」という化け物に屈しない生き方。

いろいろ考えさせられる・・・。